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岐路に立つブータン MARCH 2008 |
文=ブルック・ラーマー 写真=リンジー・アダリオ 2008年に王室主導で初の民主政体が発足するブータン。伝統とバランスをとりながら、「国民総幸福量」の理念に基づいた近代化を進められるのか。式典ラッパの澄んだ音色が高らかに鳴り響くと、巡礼者たちが誘われるように姿を現した。山の向こうに日が落ちて、町に影を落とす。ここはヒマラヤ山脈にあるブータン王国の首都ティンプー。これから、この日最後の儀式が始まろうとしていた。 群衆の端のほうには、おかっぱ頭でみすぼらしい服を着た農民たちが立っていた。遠く離れた山里から三日もかけて、“都会”のティンプーまで初めて出てきたのだ。都会といっても、信号機が一つもない首都は、世界広しと言えどもここぐらいのものだろう。広場の中央付近では、僧侶たちがえんじ色の僧服を身にまとい、互いに腕を組んで集まっている。ヤシ科の高木ビンロウの実をかむ彼らの歯も、僧服と同じくらい真っ赤に染まっている。 僧侶も農民も、町の人々も、広場の中央に立つ少年を一目見ようと押しあいへしあいしている。少年の名はキンザン・ノルブで、年齢は7歳。オレンジ色のシャツが長すぎて、ひざから下がやっとのぞくほどだ。曲が盛り上がると、ノルブは勢いよくあおむけになり、背中を軸にしてくるくると高速で回りはじめた。 ブータンでは古くから、高僧が雌トラに乗って空を飛んでやってきたとか、「風狂の聖」と呼ばれる僧がいたとかいう神秘的な伝説に事欠かないが、このノルブ少年も高僧の生まれかわりなのだろうか? しかし、しゃれた白いノートパソコンをつないだスピーカーから大音量で流れてきたのは、仏教の祈りの歌ではなく、人気ラテンポップ歌手のシャキーラがきわどい歌詞を連発する「ヒップス・ドント・ライ〜オシリは嘘つかない」だった。ノルブがくるくると回って手を使わずに頭だけで逆立ちすると、シャツがめくれあがり、世界のどこにでもいる今どきの若者らしい格好がのぞいた。足首まであるナイキの赤いスニーカーに、アディダスのだぼっとしたスエットパンツ。そしてブレイクダンスやヒップホップを踊る彼らのグループ名「B-Boyz」の文字が、タトゥーシールで体に貼りつけてあった。 曲が終わると、ノルブはいたずらっぽい笑顔でワルぶったポーズを決めてみせる。仲間たちは口笛と歓声で彼をたたえた。僧侶たちはビンロウの実で赤く染まった歯をむき出しにして苦笑する。日焼けした農民たちは、口をぽかんと開けて少年を見つめるばかりだ。これが祭りで奉納される仮面の踊りなら、彼らにも理解できただろう。しかし、ノルブは不可能に挑戦するブータンの姿を体現している。伝統と近代化のバランスをとりながら、中世から21世紀へ一気に飛びうつろうというのだ。 現地語でドゥク・ユル(雷龍の国の意味)と呼ばれるブータン王国は、面積は九州より一回り大きいほどの小国だが、インドと中国という二つの大国にはさまれながらも、千年以上も孤高を保ってきた。地理的な条件に加え、鎖国政策を長く続けてきたため、外界から隔絶されていたのだ。1960年代まで、舗装道路や電気、自動車はなく、電話や郵便制度もなかった。今でも、霧に包まれた崖に立つ古い寺院、川や森を見下ろすようにそびえる未踏の霊峰、4人姉妹を妃にめとった前国王がその一人と暮らす宮殿を眺めていると、ここは「時に忘れられた場所」という気がしてくる。訪れる人々が「最後の理想郷」と呼びたくなるのももっともだ。 先代のジグメ・シンゲ・ワンチュク国王が16歳で1972年に即位した当時、ブータンは貧困、識字率、乳幼児死亡率のどれをとっても、世界で最悪の水準だった。鎖国政策が残したお荷物だ。「その代償は高くついた」と、前国王自らがのちに語っている。 ブータンが開放路線に転じたのは1960年代、前国王の父が第3代国王だったときだ。彼は道路や学校を建設し、診療所を開き、国連への加盟を実現した。前国王はさらに一歩踏みこんで、あらゆる面に目を光らせながら開放を進めようとした。それは、国が発展するとはどういうことかを見つめ直す機会でもあった。彼の姿勢は、彼自身が考案した「国民総幸福量(Gross National Hapiness)」という言葉によく象徴されている。 多くのブータン人にとって、国民総幸福量はマーケティングの道具でもなければ、ユートピア哲学でもない。生きていくための具体的な構想なのだ。国民総幸福量の柱は、持続可能な開発、環境保護、文化の保全と振興、優れた統治の四つ。これらを指針としたことで、ブータンは天然資源の採取に頼ることなく、貧困から脱却することができた。 |
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