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モスクワ暗夜行路 AUGUST 2008 |
![]() 副支配人のセルゲイがGQの店内を案内してくれた。店をひとめぐりする間に、ラナが新ロシア人たちの“お買い物リスト”がどんなものか教えてくれた。「まずモスクワ市内に高級マンション、ロンドンの高級住宅地に豪邸、南仏のサントロペに別荘、アルプスにスキー用の山荘。子どもは海外の全寮制学校に入れ、預金は外国の銀行へ。世界中を飛びまわるための自家用ジェット機も必要ね」 これが、今のロシアの居心地の悪さの元凶だ。スターリン政権下の暗黒時代にも、階級差を廃した社会観だけは、それなりに共有されていた。札束を手に台頭してきた新ロシア人は、盗人のように見られる。彼らの生き方は羨望の的だが、忌み嫌われてもいるのだ。
GQを出た私たちは、BMWの新車やウォッカの新製品の発表会に使われるクラブを冷やかし、続いてゴーリキー公園にあるやや庶民的なクラブで人工ビーチをそぞろ歩いた。それでもまだ、なにか物足りない気分だった。モスクワで最高のクラブ、いちばんすごいクラブは、いったいどこなのか。 「三つ駅」にて:その1 クラブ「ディアギレフ」がモスクワ屈指の洗練された社交場だとすれば、「三つ駅」は社会のどん底だ。正式な名前は「コムソモール広場」だが、北側にヤロスラブリ駅とレニングラード駅、南側にカザン駅の3駅が集まる場所として市民たちにはおなじみだ。広場の横手に立つレーニン像は、左手でコートのえりをつかみ、右手を尻ポケットに伸ばしている。財布をすられたのに今、気がついたという風情のポーズは、この場所にお似合いだ。 おびただしい数の人々が毎日、列車で到着し、石畳の広場にあふれ出る。青い目のウクライナ人、鋭い顔だちのカフカス人、イスラム風の帽子をかぶったウズベク人、モンゴル人、大勢のタジク人など、さまざまな民族が行きかう。ロシア人の減少とタジク人移民の流入は、この国が抱える人口問題の“時限爆弾”だ。酒を飲まず働き者のタジク人は、ロシア人のやりたがらない仕事も進んで引き受ける。 だが午前2時、広場はがらんとして静まりかえっていた。昼間は雑踏にまぎれていたものが、街灯のぼんやりした光で見えてくる。カザン駅の周辺にたむろする酔っぱらいたちの服は、石畳とほとんど見分けがつかないほど薄汚れている。単なる酒好きなどではなく、文字通りウォッカ漬けのアルコール中毒患者だ。包帯を巻いていたり、血まみれだったりする者も多い。 駅の裏手の暗がりには、シャッターを下ろした商店が並び、ぼろや新聞紙をまとったホームレスが寝ていた。たった一軒、開いている店は、もちろんウォッカを売っていた。人影が駆け抜けていく。路上で暮らす子どもたちだ。 体の線もあらわな服を着た娼婦たちが、腰を振りながら歩いていく。彼女たちにはよくない評判があった。血圧降下薬のクロニジンを砕いて粉にしたものを隠し持っていて、ウォッカに混ぜて客に飲ませ、気絶したところを身ぐるみはいでしまうというのだ。カモにされた客は、下着姿で目を覚ましても、泣きつく先などありはしない。警官や兵士が娼婦の元締めだったりするのは、この界隈では常識なのだ。 薄暗い通りをさらに奥へ進むと、ロシア人とタジク人の不良グループ同士がけんかをしていた。どちらも十代の若者が8人ほど。見たところナイフを手にした者はいなかったが、タジク人側の一人がロシア人を倒し、顔をコンクリートに打ちつけていた。 |
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